2025年4月30日 12:00

神祇と近代戦

昭和五十六年十月四日、保田與重郎が亡くなった。享年七十二歳。故郷桜井の市営墓地に葬られたが、分墓が一つ、大津の義仲寺にある。保田の敬愛してやまなかった、木曽義仲と松尾芭蕉ゆかりの寺である。江戸の中期までは、義仲を葬った小さな塚だったという。この地を愛した芭蕉がたびたび訪れ、のちに遺言し、墓を建てさせたとされる。
 保田與重郎は晩年、義仲寺の復興に力を注いでいた。戦時中から戦後にかけて荒廃の極にあった義仲寺の再建を、三浦義一に持ちかけたのは、保田であった。三浦は戦後、政財界のフィクサーとして活動し、日本橋室町に事務所を設けたことから、「室町将軍」と呼ばれていた。戦中より親交のあった三浦は、保田にとって信頼できる資金提供者であった。保田に師事していた谷崎昭男が評伝で述べているように、保田が話を持ちかけなくては、三浦義一がこの事業に動くことは考えにくく、義仲寺再建は困難を極めたことであろう。また保田は、寺の復興後、宗教法人義仲寺の責任役員を務め、昭和四十一年六月に社団法人義仲寺史蹟保存会が設立されるに際し、理事に加わっている。保田にとって義仲寺の復興は、芭蕉のみならず、芭蕉の慕っていた義仲の顕彰でもあったことは言うまでもない。

 昭和十二年十月、同人雑誌『コギト』に発表された「木曽冠者」からは、保田の義仲への深い愛情が窺える。保田を巧みな美文をもって若者を煽動した右翼のイデオローグと断ずるのは、決して間違ってはいないが、彼の全貌を捉えてはいない。入京後、後白河法皇との関係を悪化させた義仲は、院御所であった法住寺を襲撃、法皇と後鳥羽天皇を幽閉している。川村二郎の指摘しているように、このような挙に出た人物への偏執にこそ、保田の文学的感性の繊細さが現れていると言えよう。北条氏への苛烈な非難、家康に対する苦々しい言及とは対照的である。
 なお保田は、「神仏を敬し皇室をうやま」った頼朝を絶賛している。「頼朝の行為には己の身内を削つて、自然の意志に奉仕するやうな犠牲さへある」という。「頼朝の時代に於て、権力は家族の形式に停止しなかった」。「頼朝は自然にその事情を身につけた人のやうに」、「自身に権力を集め、英雄を形成し、時代の歴史の意志を形相した」。世間は頼朝の冷酷さを言うが、「愛情の少なさでなく、理性であり、訓練であり、もつと大きい自然の一種の現れ」であったとする。
 一方、頼朝の犠牲となった義仲と義経については、「平家没落と鎌倉殿の建設を完成させるために必然な橋であつた」と述べる。一つの世界観の終焉であった平家の没落と異なり、義経のそれは源氏一族の、あるいは政治上の問題であった。保田は義経の逃走の過程に、頼朝の幕府建設のために必要なコースを見ている。院政派の弾圧、守護地頭の配置、そして奥州藤原氏の征討。この頼朝にとってあまりにも恵まれた運びには、歴史の運命を感じずにはいられない。権謀術策を知らぬ義仲の純真は義経を利したが、長い目で見れば、幕府の未来への架橋を果たしていた。判官がのちに『義経記』によって感傷化されるのに対し、冠者は『平家物語』において戯画化される。平家の衰亡を不気味なまでの無常の終末観のもとに描きだすため、作者は必然の没落に対し、徹底して「感激」や「比較計量」を排した。「一切を自然化し美化したのである」。「能登守の最後」や「敦盛討死」にしてもそうである。このような点においても、やはり義仲と義経は、自然とのあわいの中に架かる、悲しい日本の「橋」であった。「橋の役目が如何にかなしいものか、宇治、勢多、といづれの橋も、源平いづれかの手で矢合せのまへに落されるのである」。
『平家物語』の同情は、一見冷たいが、最も深い。「燃えさかる炎に近づいたときに感じる寒気から発想」された、このわれらが民族の傑作は、「東洋の知識人と文化人の空想した生成の理想」に通じているのだと、保田は評する。「明王の世に生をうけ、春風の丘に新しい春衣をまとつて、一曲の和琴を彈じ、爛漫の花の中に美しい童や少女と遊ぶ」理想は、「なほそのときに盛者必衰」なのである。この「最も暖き抱擁に冷いものを抱く心の雅懷」は、昭和十三年の蒙古へと至る大旅行を記した『蒙疆』においても触れられている。

つねに偉大なものは寒気に凍るいぶきの如き混沌の中に住む。その混沌の住家を描くものが芸術家である。わけて変革期の芸術家である。たとへばかつての変革期に出た平家物語の作者や、また運慶といふ人はさういふ大芸術家であつた。

 旅の道中、保田は北京の風景を見て失望した。「もはや千年の都北京には、唐宋文化の何ものも残さない」。漢人の文化はほとんどそこになく、「乾隆式」に染め上げられていた。

我々は東洋平和のために優秀な支那を殲滅せねばならない、しかしこの悲劇は、支那人の歴史の思想の誤謬に原因する。間違つたものは滅さねばならない。さうしてそれを悲しむ一面で、我らのさらに優秀な正当な精神の戦死を一そう悲しまねばならない。

 この過激な一節に、『平家物語』の影を見るのは誤りであろうか。「偉大な悲哀と頽廢への情熱」を進軍喇叭のごとく謳い上げる序文「昭和の精神」では、「無常迅速は、日本の国史を眺めるとき、日本が興隆するときの国の性情であつた」と述べられている。源平合戦の世は、まさに「無常迅速」の時代である。

勝者も敗者も、剣をもつた瞬間に救はれてゐた。殺戮が一つの罪悪であるといふやうな正論は百も承知で、抽象の殺戮でなく、具体の剣戟の場に臨んでゐた。(中略)人間が堕落しなかつた時代、恥辱に遭うた丈夫は、相手を斬るか己を殺すかのいづれかを選んだ。その頃には丈夫はみな英雄であつた。進歩した二十世紀の我々は友情の場合にさへ補強工作を行つて、不信の恥辱から己をいたはらうとする、これは我々の学んだ近来の政治主義趣味の影響である。(「木曽冠者」)

 保田與重郎は合理や計略をことごとく否定する。ゆえに彼の怖ろしさは、ヒトラーやスターリンのそれとは全く異質のものであり、組織的ではなく、また技術的でもない。保田はただ、混沌としか呼びようのない、顕現しつつある超越的な何かに、訳もわからぬまま心を奪われていた。福田和也が「遥かなるもの」と呼んだその気配を、荒涼たる包頭の平原に感じ取っていたのだった。
 近代戦に一貫して否定的であった保田の、戦時中における政治的立場は、アナーキーかつナショナリスティックである。これは外山恒一氏の提唱する「アナキズム+ナショナリズム=ファシズム」という図式に合致するものであり、保田の思想は精神の次元における保守革命と言えるであろう。ただし、それは着眼点を政治のみに限定すればの話である。
『平家物語』論でもある「木曽冠者」は、源平の世を語ることによって、鋭く近現代の病理をえぐり出す。

争闘には絶対に勝たねばならないのである。しかし敗れることも亦美しいのである。この激烈な殺戮を擅にした争闘は、しかし国と国との戦争を思へばじつになごやかであつた。それは又我々の歴史の幸福であつた。京方の武士の立派さの二三は記された通りである、長綱を討つた入善小太郎行重にしても、或ひは宇治の佐々木四郎高綱、藤戸に於ける佐々木三郎守綱、かういふ人々の場合は、今の世の人の手本とならないであろう。

 さり気ない最後の一言に、僕は海よりも深い暗闇を見る。我らが背負う近代という業を想い、背筋が寒くなる。その底を見わたすのは、保田だけではおぼつかない。異なる視座を必要とする。

 フランスの思想家ロジェ・カイヨワの著作『聖なるものの社会学』は、近現代の世俗化の果てに現れた新種の「聖」について考察している。本書の後半は戦争についての記述に割かれる。
 カイヨワは、近代の曙であるフランス革命がもたらした、近代戦の誕生に着目する。
 十八世紀までは、戦争は避けるものであった。「むしろ迂囘行動という脅迫手段で、相手を威嚇しようと」する。「また退路を断つ振りをしたり、糧秣庫を襲ったり、またはそんなものがある要塞を囲んだりした」。「兵力を総動員するようなこともな」いので、「敵が戦場や占領地点を放棄すれば」、「整然と退却するのにまかせた」。フランス革命緒戦のヴァルミの役も、こうした「旧式の戦争」の範疇であった。
 大転換が訪れるのは、一七九三年八月二十三日のこと。革命議会が、国民皆兵を命じる布告を出すのである。「いまより敵を共和国の領土外に駆逐するまで、すべてのフランス人は軍務の要求に応じなくてはならない」。この布告のもとでは、老若男女すべての人員が、戦争のため、各々の役割をひき受けることとなった。同時に、デジョンにおける革命運動の大立者ジョセフ・カルノー(Joseph François Claude Carnot)は、次のような布告を出している。「集団的にかつ攻撃的に行動せよ。常に銃剣を帯びて戦闘に参加せよ。大会戦に従って、敵を全滅させるまで追討すべし」。
 中央集権的な官僚制ネットワークが大量の人員を募集・訓練し、迅速に戦場へ送り込むようになる。戦争が市民生活に寄生するのではなく、むしろ生活を吸い上げる主体となっていく。やがてカトリック神学を背景とするジョゼフ・ド・メーストルを皮切りに、プルードン、ラスキン、ドストエフスキーといった、戦争に聖性を見いだす思想家が現れるようになる。
 一八七五年ごろには「火器が決定的な完成をみるようにな」り、戦術を大きく転換させる。騎兵は廃止され、戦車が現れる。総力戦の時代の幕開けである。個々人の「勇気や才覚」が果たす役割はほぼ無くなり、匿名化。巨大に発達したメカニズムの駒として埋没していく。ただ「抗戦と規律」が重要になり、「キャンプの退屈さと訓練の単調さ」に苛まれるようになる。総力戦において、もはや英雄は名を知らしめることを許されず、「無名戦士」となる。気品のある「英雄的な戦争」はもはやあり得ない。
 「木曽冠者」でこぼしている、保田與重郎の「今の世の人の手本とならないであろう」という言葉は、このような戦争の変質を感じ取ったものではなかったか。「無名」を現代の英雄の特徴として疑問を抱かず受け入れている点においては、その限りではない。しかしあらゆるものを動員する近代戦のあり方を、保田は一貫して否定していた。
 ただし、戦争の変化は上記だけに留まらなかった。カイヨワは総力戦における倫理観の変化を指摘する。古来戦場において、おのが名誉は、剣を交えるに値する敵の目に委ねられていた。ゆえに「尊敬する敵に嘘をついたり、悪意に出てはならな」かった。血を血で洗う者同士がわかち合う、戦場の美徳であった。ところがそうした道から外れた行いが、あえて為されるようになる。敵の誤りを誘うため、新たなルールがこれを命ずるようにさえなる。もちろん以前にも詭計はあった、ただし「向こうみずがさいわいした名誉でも、不幸な勇者の名誉でも、これらはいつも不実な成功者の名誉よりは立派だとされていた」。総力戦では、「暴力行為の自由」の名のもとに、これが許される。戦争の「美学的・倫理的な残滓」はこうして一掃され、ただ勝つことだけが肝心となる。最小の支出で最大の利益を得る、経済の倫理観とほとんど変わらなくなっていくのである。
 さて、総力戦により戦争は、いよいよ絶対的な相貌をもって市民の前に君臨するようになった。にも関わらず、戦争を礼讃する者たちは、失望するどころか、さらに主張を過激なものにしてゆく。生物学者ルネ・カントンや、エルンスト・ユンガーがそうである。彼らは戦争を、その美点をもって賞揚しようとするのではなく、戦争そのものを原理的に肯定した。
 このような感覚は、藤田嗣治の戦争画を思い起こせば理解しやすいのだろう。「アッツ島玉砕」は名作として名高いが、宗教画めいた雰囲気の「サイパン同胞臣節を完うす」も、戦争の持つ超越性を雄弁に物語っている。また、これらの作品に加えて、やや象徴的にすぎるが、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』を挙げてもいいだろう。作中に登場する本田伍長は、外蒙古の砂漠にある涸れた井戸に落とされる。その深く暗い底に一日のうち十数秒だけ差し込む陽の光に至福を感じ、「ここで自分はこのまま死んでしまうべきなのだ」と思う。バタイユ的なエロティシズムを思わせるこの場面は、直前の凄惨な皮剥ぎリンチの描写と表裏一体なのである。保田與重郎が蒙古の平原に見た「遥かなるもの」の姿はこれらに類似する、しかし彼は同時に、政府の方策のもと戦場を見物し報道に励む従軍作家の態度を、「文学の機能を停止する安住の境地」への逃避であるとして批判してもいた。
 カイヨワは、アントニオ・アニアントの以下の言葉を引き、戦争を「真の指導者と偽の指導者とを、真の味方と偽の味方とを、真の英雄と偽の英雄とを区別する」「《選挙》」なのだという、彼の主張を紹介する。これに対し、ポール・ヴァレリー『現代世界について』を参照しつつ、「こうした識別能力」を否定する。

 このように戦争による《判決》は、もろもろの偶像を破壊して、その時代をつくりあげたものを排除する。とりわけ、習慣としきたりだけに支えられてきたものを排除する。ここでは武器によるという絶対的な単純さが、遁辞と冗舌とを許さない。逆に生への突入によって、戦争は若さと生気と真実とを世界に与える。また新しい経済的・政治的時代を拓いていく。そしてどんな国民も、この判決から逃れることができない。どんな国民も、こうした革新を欠くことができない。

 ところで、否定されたこの「《選挙》」の効果の重視は、保田與重郎の批評にも見られるものである。「近代の終焉」という主張は、このような論理に半ば支えられていたと言っていいだろう。

私は事変の勃発と共に直観したことは、日本の現代文化上の人道主義気質と自然主義気質の廃止といふことであつた。私はこのことを事変の始まつたころに改めてよんだ平家物語から感じ、そのことについては既にその七月に誌し、爾来しば〳〵文章の中でのべたのである。(「国語の普及運動について」)

 しかし、拡大してゆく戦争が破壊したのは、「人道主義気質と自然主義気質」だけだっただろうか。
『聖なるものの社会学』の最後の論文では、レヴィ=ストロースやマルセル・モースの影響のもと、未開社会から現代社会への変遷における、聖と戦争の関係を辿っていく。
 レヴィ=ストロースが論じたように、未開社会の氏族たちは、「食料・サービス・儀式の交換」のみならず、「通婚に基づく紐帯によって」結合する。このような社会において祭りは、人々を時間と規律から解放し、集団的な絶頂へと至らせる。一方で戦争は、「謀略と襲撃、略奪と復讐のための遠征」といった性格に留まる。こうした分析を日本の歴史に直接当てはめることはできず、皇室の有無という点において、若干の違いがあると言えるであろう。
 やがて「戦士・僧侶・鍛冶屋・舞踏者・大工・医者、その他、あらゆる特殊技能者が分化し」、尊敬よりも威光が集団を団結させる時代がやって来る。いわゆる「封建的な中世」がこれに当たる。この時代において戦争は、上層の貴族や職業軍人らの特権となり、ルールと名誉が重んじられ、スポーツに近しいものとなる。分析は日本の中世にもおおよそ合致するであろう、当時の武士は盛んに名乗りを上げていたし、『平家物語』の那須与一が扇を射る話は、カイヨワの挙げる中世の戦争の性格を象徴している。
 カイヨワはこうした戦争を「生命を賭けた祭」と呼んでいる。日本における「祀る」精神との齟齬を感じるならば、儀式と呼んでもよい。「見栄と武勳」を追求するこの儀式は、ポトラッチ的な贈与の応酬であり、蕩尽である。ただし人々を分離させるものであり、決して集合させるのではない。「人びとの社会的距離」を明確にさせるこの戦争は、近代のそれとは違い、「《社会の絶頂》」ではなかった。「日本の現代文化上の人道主義気質と自然主義気質の廃止」を考えた保田與重郎が躓いたのは、こうした中世と近代の差異であった。
 近代に入り、法の下に平等な市民が現れ、その平等を保障する国家が社会構造の全体を覆う時、いよいよ「《社会の絶頂》」としての戦争は顕現する。かつてのような「人びとの社会的距離」がないため、戦争の美風は失われる。「武装した不可分な主体」たる近代国家と戦争は、お互いを育み合うように発展してゆく。物資の膨大な消費に備え、国家は統制を強化し、もはや平和は戦争の準備・警戒の期間に過ぎなくなる。

 戦争が最大の関心事となる国家は、己を己たらしめる自分たちの文化さえも、時として戦争のために最適化し、破壊する。それは先ほど触れた、従軍作家のような例だけに留まらない。
 谷崎昭男によると、『コギト』第百二十七号(昭和十八年二月)の「編集後記」に、保田與重郎はこう記している。

すでに我々は憤りを思つている。民族の祭りに関する行事を一切禁圧する方へと、近ごろ一般の文化は向つてゐることを我々はよく認めた。さういふ不敬のことをする一方で、人を喜ばせる娯楽を与へようとすることは、あくまで不敬の考え方である。我々文学者は、日本の歌のみちに立脚するから、不敬の者とは共同できないのである。

 事実上の懲罰として保田が召集を受けるのは昭和二十年三月のことだが、この当局への「不敬」という非難は、召集の要因のなかでも一際大きなものであったと推測できる。
 戦争の完遂のためには、総力戦以外の選択肢は考えられず、したがって国内のすべての事物が動員される。しかしその結果、守るべき究極の価値が犧牲となるならば、果たして戦争は何のために行うというのだろうか。
 カイヨワの議論自体は、西洋近代のヒューマニズムの範疇に収まるものであろう、しかし保田與重郎は違う。あくまで、神祇の名において、近代戦を批判するのであり、決してその逆ではない。
 混迷を極める戦況のなか、保田はただ一人、より一層神がかりであろうとした。すべてを戦争へと動員してゆく近代のあり方が、かむながらの道の持つ大らかな気風と、決して相容れないものだと痛感していた。
 昭和十九年四月、私家版で刊行した『校註祝詞』を保田は、出征する学徒や知友への餞別にするとともに、皇大神宮をはじめ、全国の由緒ある神社に奉納した。「祝詞式概説」と題した解題において、保田は次のように述べている。

 天恵生産を中心とするのが、わが国の思想の根本である。これは人為貯蔵を中心とする経済と相反するものである。日本人の物に対する思想は、最近殊に悪化してゐるが、物を神の天恵と知ることを、祝詞をよむ人に期待するのである。近来は一般に物を大切にし、感謝するやうになつたといふが、その現象を見ると、物を肉体の一部として大切にしてゐるのであつて、こゝで肉体は物になり下つて了つてゐる。天恵としての物、即ち神の事依さしとして物を感じる時でなければ、皇道の経済の根本は確立せぬのである。天恵に対する感謝でなく、貯蔵の不安や矛盾よりくる貴重感では、わが国の道でない。この矛盾とは貯蔵を可能にした人智人工の もつ限界である。人智人工の貯蔵には必ず限界があるからである。

読書案内

・保田與重郎『校註祝詞』
 『延喜式』は、延喜五年(九〇五年)、醍醐天皇の勅により藤原時平・忠平らが編纂し、成立した。本書は『延喜式』巻八に収められている祝詞を中心に、書き下し文に訓註を加えている。訓註はすべて国学者の説に従っており、中でも鈴木重胤『祝詞講義』を先人の仕事を集成したものとして重んじている。「祝詞式概説」における近代戦批判は、以前からのそれを一層深化させており、保田與重郎の思想の決定的な転回点と言えるだろう。

・ロジェ・カイヨワ『聖なるものの社会学』
 本書は戦争のほか、アメリカ映画における死の観念、ラテンアメリカにおける賭博、そしてアドルフ・ヒトラーを論じている。新たな「聖」を出現させた世俗社会の学際的な分析は鋭い。ただし結論は、安易なヒューマニズムに陥りかねないものである。近代戦にまつわるイメージの変遷の分析は有用だが、注意して読まねばならない。

・ジョン・ミアシャイマー『大国政治の悲劇』
 戦争は理念だけでなく、現代の国際政治の力学をも踏まえた上で考えられなくてはならない。二十世紀の思想的残滓およびその土台が一掃されつつある今、国家を道徳的に判断し善悪に振り分けるリベラリズムの議論は、国際情勢の理解に全く役に立たないだろう。価値観による判断を排したリアリズム学派の議論は、近年その重要度をますます高めていると言っていい。米中露の三極が対峙する東アジア情勢の「悲劇」的な分析は、わが国の命運を考える上で必読だ。

参考文献
保田與重郎『改版 日本の橋』保田與重郎文庫、二〇〇一年
保田與重郎『蒙彊』保田與重郎文庫、二〇〇〇年
保田與重郎『近代の終焉』保田與重郎文庫、二〇〇二年
保田與重郎『校註祝詞』保田與重郎文庫、二〇〇二年
谷崎昭男『保田與重郎 吾ガ民族ノ永遠ヲ信ズル故二』ミネルヴァ書房、二〇一七年
『平家物語』上下巻、佐藤謙三校注、角川ソフィア文庫、一九五九年
川村二郎『イロニアの大和』講談社、二〇〇三年
福田和也『保田與重郎と昭和の御代』文藝春秋、一九九六年
外山恒一『政治活動入門』百万年書房、二〇二一年
ロジェ・カイヨワ『聖なるものの社会学』内藤莞爾訳、ちくま学芸文庫、二〇〇〇年
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』第一部、新潮文庫、一九九七年
ジョルジュ・バタイユ『ジョルジュ・バタイユ著作集 エロティシズム』澁澤龍彦訳、二見書房、一九七三年

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